Sunny Shiny Morning1

09/06/08up

 

 運命の出会いって本当にあるんだなと、28歳になったライル・ディランディは心の底から思った。

 その日は、至って普通の朝だった。
 週も半ばの平日の木曜日。まあ、明日が終われば週末の休暇だと思えば、週の頭よりは気が楽だと思う程度の日だった。
 それでも何故かライルの心は浮き足立つ。理由は分らなかったが、何か予感めいた物を感じていた。
 幼い頃より、ライルはこういった予感を外した事はない。
 超能力とまではいわなくても、何事かが起こる前は必ずと言っていいほど心が平静では居られなくなる。
 例えば、子供の頃に両親と妹がどこかの組織の自爆テロに巻き込まれて亡くなった日。
 その日は朝から心が重く、寄宿学校に通っていたライルは、休日を理由にいきなり一時帰宅をした。急に帰ってきた息子に両親は喜び、せっかくだから何処かに出かけようと家族総出でショッピングセンターに足を向けようとしたが、ライルは本当は家に居たかった。だが両親の気持ちを考えれば、多少は付き合ってもいいかという気持ちになり、両親と双子の兄、そして妹とその場に出かけた。そして、テロに巻き込まれた。兄と自分は運良く建物外の屋台に気を取られて屋外に出ていた為、それに巻き込まれずに済んだのだ。その時は、何故自分の気持ちに正直になって「家に居よう」と言い出せなかったのかと悔やんだ。
 その他にも、そのテロから1年後。何となく、本当に何となくだったが、朝からとても兄が気になった。その時は兄は親戚の家に預けられていて、そこから今まで通り学校に通っていた筈だったのだが、どうしても連絡がとりたくなった。だが、その家に兄は居なかった。父の兄弟である叔父も叔母も、その日は「いつもの射撃場に出かけてるのよ。急な用事なら携帯に電話してみたら?」と、至って普通の対応をしてきたのだが、その後にかけた兄の携帯電話は、既に繋がらなくなっていた。叔父と叔母が慌てだしたのは、その次の日からだった。兄は、その日を境に親族皆に黙って、こつ然と姿を消した。それ以降兄の消息が分かる事はなく、暫くすると定期的にライル名義の口座に送金されてくる様になった金の振込人が「ニール・ディランディ」となっていた事で、生きているのだという事だけは確認出来るくらいだった。
 それ以来、ここまで気分が高揚した事はない。
 きっと何かがあるような、けれど不確定要素の多い予感に、ただ念入りに、朝の寝癖とくせ毛の入り交じった髪の毛を撫で付けるのに必死になるくらいしか出来なかった。

 朝の予感が嘘のように、一般的には大手と称される勤務先の商社に出社し、午前中の会議と書類整理に追われた。お昼の休憩を使って午後の予定を見直して、2時に会社を出れば予定されているコロニー開発公社の技術提携の打ち合わせには間に合うだろうと、それまでにいつもの書類仕事を終わらせようとデスクに向かう。その間に、女子社員が気を利かせて持ってきてくれたコーヒーが溢れてスーツを汚したが、予備の着替えを会社のロッカーに置いてあるライルには、取るに足らない出来事だった。
 そして、会社外での打ち合わせに赴いた時、朝の予感の正体を知った。
 コロニー開発の技術者との打ち合わせの場所に赴いたライルは、一瞬周りが見えなくなるほどの衝撃を覚えた。
 人はそれを、一目惚れというのであろう。
 受付にライルを迎えに出てきた人物は、想像していた無骨なおっさんではなく、パンツスーツのよく似合うスタイル抜群のエキゾチックな美人だった。
 しかも、ただの美人ではない。会議室に通された後、書類の確認をしている真剣なまなざしをしていた彼女が纏う空気は、あまりにも凛と冴え渡り、その場に居た歴戦の技術者達をも圧倒するような威圧的な空気を醸し出していた。そして彼女の言葉の的確さは、専門職の人間だけではない空間を、淀み無く潤滑に回すだけの技量を持ち合わせていた。
 ライルは素晴らしい女性だと感心していたのだが、彼女の第一声はとても気になる物だった。
 彼女はライルを受付で見るなり、呆然とした顔で「ライル・ディランディ…」と、名乗ってもいないライルのフルネームを口にした。
 その事に一瞬驚きはしたが、こんな美人に名前を覚えられるのは光栄な事だと、ライルは笑顔を崩さず対応した。
「え?あ、そうですけど、どこかでお会いしましたか?」
「あ…いえ、すみません。直接は初対面です。知り合いに聞いた事がありまして…技術開発のソラン・イブラヒムと申します」
 口元だけで笑顔を作る彼女に違和感を覚えたが、それでも共通する話題がある事の喜びの方が上回った。

 商談内容はごく初歩的な共同技術開発についてだったので、会議の時間は予定通り午後5時の終業とともに終わりを告げた。
 出向先から直帰の予定だったライルは、遠慮なしにソランに話しかけた。
「今日はもう仕事は終わりですか?」
 技術開発部に居るソランが、作業服ではなくスーツ姿だという事に、確信めいた問いかけをする。
「ええ、まあ…終わりですが、何か?」
 予想通りの言葉を得て、ライルは友人に「これで落ちない女はいない」と評される柔らかい笑みで、誘いの言葉をかけた。
「なにか、共通の知人がいるみたいだったので、よろしければコーヒー一杯おつきあい頂ければと思いまして」
 ライルの言葉に彼女は一瞬ぴくりと肩を揺らしたが、直ぐに完璧な笑顔でライルの言葉を否定した。
「…共通の知人という訳ではないと思います。以前、貴方を知っている知人が居たというだけです」
 明らかに引き腰なソランに、それでもライルは負けずに押す。
 ライルの様子を見守っていたソランの会社の会議の総責任者は、是非ともライルの会社とのラインが欲しかったようで、ソランに対してライルの言葉を後押しするように指示をした。ソランとしても、会社の上司からの言葉となればライルの誘いを断る訳にもいかず、二呼吸置いて了承を告げた。

 ソランの会社の程近くのコーヒーショップに二人で入り、ライルはコーヒーを、ソランはホットチョコレートを注文した。
「甘いもの、好きなんですね」
「ええ、まあ」
 あからさまに適当に打たれた相槌に、ライルは少し焦りを感じた。
 これまで女性との交際の経験はあったが、それは相手が自分に対して好意を持っているのがある程度前提の事であったのだ。基本的に自分本位の行動がとれない事を嫌っていたライルだったので、あまり自分から女性との交際を求めた事は無かったのだ。それが、いきなり現れた好みドンピシャの美女。今日でどうにかならないにしても、どうあってもこれから先の連絡手段だけは確保したいライルだった。
「俺、普段は外ではコーヒー飲んでるんですけど、本当は紅茶の方が好きなんですよね」
「…そうなんですか」
「出身が北アイルランドでしてね。故郷では、家庭ではコーヒーより紅茶の方が飲まれるんですよ」
「それ、知ってます。知り合いに北アイルランド出身の人がいましたから」
「へえ、ずいぶん広い交友関係なんですね。出身はどちらなんですか?」
「アザディスタンです」
 取るに足らない軽い会話の中で、何とかライルはソランの気を引こうと会話の裏を探る。だが、どんなに話してもソランの興味を引く事は難しかった。
 だが、彼女の会話のキレと、ライルのどんな話題にもついて来れる知識の広さに、ライルは増々ソランに興味を持ってしまった。
 話し始めて20分が経過した頃、ソランはあからさまに自分の細い左腕に巻かれた腕時計に視線を落とした。
「…もしかして、この後何か用事でもあるんですか?」
 ソランの行動から、彼女が自分との会話に退屈しているか、それともライルの言葉通り予定があるのかどちらかだと思ったライルは、単刀直入に行動の意味を問う。
 もし前者だったら今後のライルの見込みは無い。
 見えない場所で冷や汗をかきつつした質問の回答は、言葉の上では後者だった。
「ええ。ちょっと予定がありまして」
 申し訳なさそうに言う彼女の表情に嘘が見当たらなかった事にホッとしながら、ライルは取りあえずの目標を目指す。
「なら、時間がある時にならゆっくりお話して頂けますか?」
「は?」
 ライルの申し出に、ソランは表情を変えず問い返す。
 一見嫌がっているような言葉だが、出会い頭の困惑した顔の後は、始終笑顔で対応するソランの意図は、まだ出会って間もないライルには計りきれなかった。
 それに、ここで潔く引き下がるには、ソランはライルの好み過ぎる。とてもではないが諦めきれない。
「会社同士の繋がり以上に、俺は貴女に興味があります。出来れば個人的にお付き合いをお願いしたいです」
 ライルのこの言葉に、それまで笑顔で通して来たソランの顔から笑みが消えた。
 軽い男だと思われるのは心外なので、ライルはあわてて言葉を付け足す。
「ああ、軽い気持ちではないです。ただ、貴女とこれっきりというのは寂しいと、そう思ったんです」
「これっきりにはならないでしょう。今日の議案に関してはこれからも私が担当しますし、そちらは貴方が担当の方と伺いましたが?」
「仕事以外では、俺には会う価値はないと貴女は思った…という事ですか?」
 少し、卑怯な言い方をした。こう言えば、これから先仕事関係で円滑に進めたい相手に対して悪印象を抱かせたくないだろう彼女は、ライルの提案を諾と返答せざるを得ない。
 卑怯だと分っていても、それでもライルはソランを引き止めたかった。
 ライルはこれまでの経験上、女性に対してここまで心躍った事等無いのだ。
「最初はもちろん、友達からでいいんです。今すぐ貴女とドウコウしたいという訳ではないんです。ただ、俺は貴女は素晴らしい女性だと思ったから…」
「今日初めて会うのに、そんな事が分るんですか?」
 ライルのあからさまな賞賛の言葉に、ソランは顔を顰めた。
「そう、今日初めて会った。だから俺の感想も『第一印象』という範囲を超えません。でも、貴女とまた会いたいという気持ちには、あまり時間が関係する物じゃないと思いますが」
 なおも食い下がるライルに、仕事も絡んでいるソランが拒否し続ける事等当然出来なかった。
「連絡先くらいなら…」
 ため息を一つついて、あからさまに「仕方が無い」という雰囲気で、ソランはライルに曖昧な妥協案を提示した。それでもライルにとって当初の目的を達成出来た瞬間には変わらなかった。にっこりと笑顔で、ライルはソランの提案を受け入れた。
「有り難うございます。あ、これ俺の連絡先です」
 お互い名刺の裏に私用の連絡先を書いて交換をして、ソランは席を立つ。
 店から出て行くソランの背中を眺めながら、ライルは心の中でガッツポーズをした。
 これできっとこれから親密な関係を築ける。
 朝の予感はこの事だったのだと思い返し、ライルはソランの名刺を愛おしく撫でて、その場で自分の携帯電話にその番号を登録した。





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